wDiaryを振り返って思うこと 2016/11/24


20165月のこと


  詩作が暗礁に乗り上げて美しさをなくしてる。少し気分が落ち込んでいるかな。だけどそれだけ、植物を育ててるなんてよく言えたものだ、というような家庭菜園の収穫の虚しさである。しかし『寛解』という言葉が出てきているように、よくなっていることを自分で自覚している。病気として目立った訴えはやはり日記にもブログにもない。


20166月のこと


  詩や文章にますますキレがなくなっている、少し沈んだ感じだけど、晴れ間も見える。少し気分が沈んでいるかな、という感じだけど、うつというほどでもない。過去の女性への想いが、もはや自分を絶望的にさせる理由になっているのではないかとさえ感じる。それと、信じるべきものを見失っている。しかし「良くなっている、だけど、これでいいのだろうか、自分は抜け殻みたいだ」と、よくなったことで何かを失ったような感覚に苛まれているようにも思える。


20167月のこと


   これより少し低いとしても、調子のいい状態、冷静で、柔軟で、何でもできそうな状態、そういう状態が増えたり、そこに持っていけるようになったりしたら、それは「回復した」と言える、と先生は721日の私にいってる。あーなるほどな「自然な〇〇さん」を先生はとっくに発見して、そこが一番人間としても魅力的で、力みがなくて、やりたいこともやれているということを私が知る前に知っていたんだな。と思った「低い状態」というのはテンションじゃないようだ。テンションって緊張って意味だっけ、そう「緊張してない」状態、自然体の私というやつ。放送大学で勉強したことが、心の成長に繋がって、いい意味でその成果が表れた時期。試験にも行って4単位とっている。友人に言われる言葉にも少しそれまでと違った感じで受け止めているみたいだし、元気だったのだろう。「一気に色々やろうとするからできないんだよ」とよく泊まりに来てくれる友達に言われているが、その通りだと思う。


20168月のこと


   ゆるやかに、明らかに上向いているように思う。7月から8月の流れはすごくいいんじゃないか。「病気が良くなったは、言い飽きた」「クリスチャンになると決めたが、洗礼は受けず聖書を読むだけ」「必ず働く」と言っていたことなどすっかり忘れていた。仕事のことがとにかく足踏みしているのは、そこにギアを入れると途端に調子が崩れるからなんだろう。けど、けっこう人生楽しんでいるように思う。小説読めたことに感動したり、小さいけれど嬉しい幸せが、沢山あるように思える。それと、やっぱり思うのは、キリスト教はとくに信仰の浮気と相性が悪いということだ。もっとも、旧約しか読んでないからユダヤ教徒に近いのだけれど。


20169月のこと


  感情の起伏というか、そういうのがあるのは私の場合仕方ないんだなー、と思う一カ月。けっこう私にダメージを与えたメチャクチャ女の件で振り回されてるけど、そのぶんの隙間をしっかり励ましてくれる方がブロ友さんに居てくれたりで、充実してるんじゃないかなぁ。と、思う。


それじゃーΣ(ω・ノ)ノ!まとめますっ!


  おおざっぱな流れからいうと、もうこの時には寛解しています。



  ブログに貼っていた曲の中で一番感動したのはコレ。







ちなみに、11月まで振り返りが終わったら、2014年のブログを振り返ります。

   

それも終わったらもっと古いもの、11月中には全部終えられる気がしてきました。


振り返りをはじめて心境に変化が出ています。


実はお薬も減薬しているんですが、それも絶好調です。


対人関係も以外に大きな失敗をしていないで楽しく弾んでいるので、多分今の私はいつになく明るい。



おやすみなさい。


明日いい日になりますように。


ぐみぐみ。


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by ren_with_parfait | 2016-11-24 03:09 | 振り返り | Comments(0)

wDiaryを振り返って思うこと 2016/11/23


20163月のこと


 勿体ない。何があったか知らないし覚えてないが、安定は見えかけている。だが相変わらず昏睡はあるらしい。生活リズムという響きがしっかり入ってこないというか、抜けちゃうのだろう。文面だけ読むと安定しているような気がする。この時何を目標にしていたのかもいまひとつ思い出せない。今とあまり変わらない、特筆することがなさそう。色々あったんだろうけど、大変だったんだろうけど、基本形みたいのは出来て来ているんじゃないかな。言ってしまうと、あんまり病人として特記するような症状を訴えていない。しかし診察では毎回、悩みを持ち込んで先生に話しているのだ。生活リズムがよくなれば、この頃すでに簡単な仕事なら出来た可能性がある。当時の私がどう考えていたか分からないけど、日記やブログを読む限りだと、そんなひどいことはなさそうだ。美しい詩を書けていた時期だ。


20164月のこと


 なに?よくわからない。私はいっつも悩んでばっかりいるはず。いっつも苦しい思いをしているはず。辛くない日なんてないはず、だから精神科に通ってきたはず。でも全然分からない。日記を読んでも、ブログを読んでも、ちっとも辛そうに見えない。別にそれでいいんじゃない。と思う。ただこの頃はやっぱり詩が美しい。記録が足りないのか、じっさいにどうってことない毎日を過ごしているのか、分からない。毎週精神科に通っている人だと思えるような記述がない。記録に仮面をかぶっているのだろうか、それとも、気分障害みたいなものでも本当にあると言えるのだろうか。誰もが直面し、解決を考え、繰り返しながら前へと進んでいることを、変に精神科に長居したせいでおおげさに考えているだけじゃないのだろうか。毎日それなりに辛いはず、でも書くほどの辛さじゃないってことは、当たり前にずーっと感じている辛さがあるだけ、当たり前のようにずーっと同居している症状があるだけ、いつもの辛さ、いつもの症状だから、あえて書くまでもないんだろう。同じ目標の前でずーっと足踏みしている、その足踏みそのものに、なんか病名がつくのか?つく類のものとは思えない。この時すでにやれるのだ。


へーいへーいほーΣ(ω・ノ)ノ!いっ♪


 この振り返りをはじめてから、とっても調子がいいです。なんでも出来そうな気がするほどです。ほんとーに何でも出来るんじゃないか?と思いはじめています。



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by ren_with_parfait | 2016-11-24 00:05 | 振り返り | Comments(0)

wDiaryを振り返って思うこと 2016/11/22


20162月のこと


転院を考えて実行に移そうとしていた。「スタンダード=ちょうどいい生活パターン」を作るということを標題にしていたようだけれど、ほとんど記録がない。ブログの方をチェックすると、1月末から転院のことを考えはじめたらしい。詩も、ブログの記事も余裕があって、わりと柔らかい詩を書いている。


 もしかすると、先生がたが「どう考えていいかわからない」というのは、本当に私が報告する悩みが、この頃には「ごくふつうの悩み」になっていたのかもしれない。「転院」と「スタンダード」に気を取られているだけではなさそう。今の病院に不満はあるようだけれど、しっかり遊んでいる様子もある。特に遊戯王がピークでひたすらデッキを作っていたみたいだ。バレンタインの詩のイベントもあるし、図書館で大量の再利用図書をもらってきたり、少なくても後半は充実している。


 仕事をする、っていう発想はこの時ない。「転院する」ことと、「スタンダード」を作ることだけに専念すればいいと思って、ゆったりと過ごしていたんじゃないだろうか。当時の病院通いの記憶を思い出しても、そこまで辛かった時期じゃない。転院を考えることは辛かったけど、遊戯王がとても楽しかった。

 

 「そうだ、調子は上向いている。間違いない」という記事がある。転院のことで悩んではいるものの、安定しているのを感じていたのだと思う。wDiaryを読んでも、Blogを読んでも、記事が温和だ。


 「長期報酬が大事」といったことも先生から引き出しているし、カウンセリングも穏やかに受け続けている。今の病院を探して新しい病院に行こうというだけの余裕があったのかもしれない。


 この頃の先生のカルテにどう書いてあるかを教えてもらえたら、記憶の整理が助かりそうだ。記録をつけることをしばらくやめていたから、私がこの時期どの程度よかったのか、思い出す以外に頼りはないが、転院を考えられるということが、それだけ安定して希望を持てた時期だったのだと思う。


 先生との診察もこの頃は穏やかだったように思う。

 「ふぃーっ!安息な一日」というブログもこの時期にある。良かったのだ。悩みに囚われていただけで、かなり回復へと向かっていた時期なのだと思う。


んーっ!Σ(ω・ノ)ノ!まとめっ!


 2月は調子がよかった。これが一つの指標になるなら、カルテにどう書いてあるかを先生に教えてもらった方がよいと思う。こういう時期もあるし、遊戯王が思いのほか心の栄養になっていたことに改めて驚く。とある夢をみたこともブログに書いてあるが、これも吉兆だと思う。


26日のブログから引用


色んな夢を観ていたのですが、最後に観た夢は、戦後の時代にタイムスリップする夢でした。


200円くらいのお小遣いを使って自宅に帰ってきて、

母に自分の写真を見せてほしいと言ったら見せてもらえて、

どうも顔つきが少し違うんですよね。

キリッとしているというか、目がすわっているというか。


夢の中の母に聴いたら「ケンカばっかりよ、またケンカしてきたの?」何て言われました。

今の私より芯が強いというか、悪ガキみたいなんですが、どこか根性がある子供みたいで。


「俺、勉強するよ」

と言って目が覚めました。


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by ren_with_parfait | 2016-11-22 04:08 | 振り返り | Comments(2)

wDiaryを振り返って思うこと 2016/11/22


20161月のこと


 大晦日から元旦にかけて、葛西臨海公園から帰れなくなり、友達とオールしたため、元旦から疲れきっている。初日の出が昇るまで時間を耐えられず「重たい一年になりそうだ」と思っていた。二日は寝正月で昏睡。3日に立てた信念の抱負は何ひとつ変わっていない。11月末の今まで、同じ目標を引き継いでいる。ただ、何も前に進んでいない。


 1月はとても落ち込んでいて、全体的にBlueだ。何とか遊戯王の友達と会ったり、音楽の友達の一大事の話しを聴いたりしている。生活リズムを直さないといけないことはこの時にハッキリ書かれている、どうやら、忘れるのだ。


 目標を立てただけで満足していて、実際にやることは「すっかり」と忘れてる(?)。30歳になる、ということで気合いが入っているし、表向き大人しいけれど、自分のこれからを考えて何かに取り組む時に、友達を目標達成のための都合のいい道具にする嫌いがありそうだ(親への態度に至っては、完全なる『虐待』でしかない)。そして友達について肯定的に褒めてみたり、とことん嫌ってみたりするのは、【ボーダーラインっぽさ】、がちょっとあるんじゃないかと思える。泊まりに来る友達を、11月の振り返りで『救ってくれた存在』と言っておきながら、この月は45日したことで参ってる。と『自分のコンデイションを悪くする存在』として、私は認識しているようだからだ。この2つの境目のグレーゾーンに留まれず、他者への印象がぐらぐら動くのが【ボーダーラインっぽさ】じゃないのだろうか。とにかく45日でボロボロに疲れて、すっかりその泊まりにくる友達が嫌になっている。彼は心を打つ、打つ、打つ、どこまでも打つのだ、際限なく打たれ続け、もうボロボロになっても心を打つのだ。だが、彼に関係なく、私のバッドコンディションは人に、伝わらない、ということは今分かっている。言ってしまえば嫌いにならずにも、悩まずに済むものも、言えないのだ。【ボーダーラインっぽさ】にバイアスがかかってるいるので、一旦この話しはやめる。


 ここだ。泣く、喚く、呻く、というようなことを、14日にしている。ひたすらに気が狂って泣いて、喚いて、呻いて、嘆き散らして発狂したのを覚えている。何か強迫観念にとらわれて、それが無視できなくて(映画「ファイト・クラブ」がどうだったかを説明しようとして)、親相手に泣き喚いていたらいしい、何回人生の終わりが来てるのやら、分からないが、「セブン」の監督でもある、デイビット・フィンチャーの世界。悪のカリスマを描き、それが誰もが持っている悪い心を発端に起こるという、『悪魔的シズル感のある性悪説』だ。「ギャングスター・ナンバーワン」という映画を観た時と似たような恐怖である。つまりは「自分は宗教的にとんでもなく罪が大きい悪のカリスマになる可能性があるのにそんなことはないと思うために前提として必要な映画の知識を親の前で打ち明けられないのが嫌で嫌で仕方がない(!)」のだ。だが、次の日はケロッとしている。無駄な苦しみだとどこかでは分かっているからだと思う。この日、先生に「数日休んでみてはどうですか」と言われているらしい、親からもとても疲弊しているように見えるらしい。本人としては、「目の前に危機として迫る強迫観念をちょうどよくおさめるために、一度強迫観念の相手を確認してからそれを強迫観念だとして認めてしまうことがその時大事な一番のことであるが、泣いたり喚いたりするのは当然ではなくそれをやめたいがために強迫観念を確認しているというのに(!?)」そんなことがあり、15日には自分の心の中で他者をひどく呪うようなひどいことを呟いていることを気に病んでいた。


しかし18日には調子を取り戻し、問題にぶちあたっる友達とも最低限穏やかに話せたことで、機能を取り戻しているように思える。ただ、どうも全体的に疲れている。正月の疲れが抜けないのは肉体的なものかもしれない。泊まりにきた友達に「寝すぎなんだよ」と指摘されたことが効いたのか、昏睡はあまりない。うまく他のある友達がクッションになっていてくれただけど、パッとしないが平穏な毎日を過ごして、27日に試験を無事受けに行っている。そして30日においては、そのある友達に「私たちが戦うべきなのは心の醜さだ」「卑屈さだ」というような論絶をぶっこいている。


んまぁーΣ(ω・ノ)ノ!まとめっ!


 疲れるようなことをしているのだから、疲れているのは当たり前だと思う。体調管理をちゃんとしたい、それに「生活リズムが大切」なことを一度は分かっているのに、目の前のこと、目の前のこと、と強迫観念として成立している偶像ともいえる「目標」に縛られて前に進めていない。パーソナリティ障がいのバイアスがかかっても無理がない。


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by ren_with_parfait | 2016-11-22 01:41 | 振り返り | Comments(0)

wDiaryを振り返って思うこと 2016/11/21


201512月のこと


カウンセリングは抜け殻。いつも得ていた癒しが得られなかった。そのまま突っ走るかのごとくStarWars4,5,6と友達と観る。流石にこのアンバランスさではまずいことに気がついていたらしい。不安は的中し、次の日昏睡、次の日の診察の帰りに殺されるんじゃないかとの恐怖から、親に迎えに来てもらった。要するに、迎えにきてくれないと帰らないとダダをこねた。その次の日、StarWarsの買っていた前売りでは4DXが観られないことがわかり、家で泣き叫んでいた。頭の中はかなりグチャグチャになっていた。


 なのに次の日別の友達と神社巡りをしている、やっと躁状態であることをこの時理解できた。他の友達から心配の忠告が入る「このままだと恋くん、ほんとのダメ人間になるよ」「誰も恋くんと遊ぶ人いなくなるよ」としきり泊まりにくる友達は心配していた。明後日ギリギリ、放送大学のレポート提出。その次の日心配してくれていた友達が遊びに来たが、次の日トラブルになった、何か私に言ってあげないと、と思ってくれたのだろう。ただ単に、それを見下された、説教されたと感じて私は反発したが、心配しなければ何も言わない。遊戯王を一緒に遊ぶ友達にも「急に(君と遊戯王を)やる気がなくなった」と連絡が来ていた。確かに私は『邪悪(モンスター)』のことが気になっていたけれど、それを日常生活で演じていたのだろうか。先生の意見は違った。


 友達を家に残して、そのまま診察に行った「誰かにつけまわされている」「みんなが悪口をいっている」という妄想が電車の中で離れず、ひどく辛かった。始終自分の犯罪を私服警官が監視している感覚。


診察で先生は『邪悪(モンスター)』について

「それは普通の人が普通に持っている悪い面なのか、何かとんでもない存在が居るのか、結論は出ないですね」

「とてつもなく悪い自分が出てきたら、大変なことになってしまうんだ、という話しにも聴こえます、だとしても、その存在は大人しくしているようですね」


 私はそんな中でも自分の心の問題を友達に責任転嫁するのに必死。日記には心配してくれた友達の存在に対しての辛さが書いてある。だが、会った次の日にまたすぐに相談をしている二枚舌である。


 その後2日ほど、非生産的な日を過ごす。お金のことで親とモメる(浪費癖)、またやる気になったようなことを書いて、次の日は心配してくれた友達のことでまた悩んでいた。純粋に気持ちがこじれたのだ。その次の日また泊まりにきて、診察、他の友達と合流、、更に他の友達と合流、StarWarsを観に行く。楽しかったな、4DX


 軽い過眠が来て次の日には2016年の抱負を考える。椎間板ヘルニア発症。けれど24日は教会に行く。なんとか一人で行った。その後3日間、友達が家に遊びに来て曲のレコーディングして帰っていった。その後も軽く体調を崩したり、精神は乱れたものの、ゆるゆると大晦日に突入し、恒例の師匠(何度も登場している友達)との大晦日~元旦Warsに突入した。


それじゃーΣ(ω・ノ)ノ!まとめっ


 12月は実に泊まりに来てくれている友達とのことでギスギスしていたのだけれど、思ってみれば彼が四面楚歌になっている状態から私を救ってくれたともいえる。友達が色々と私を動かしてくれて、遊び回っているだけとはいえ、かなり楽しい時間を過ごせたんだと思う。こういう状態はそれほど悪くないんじゃないかとも思う。ある日先生が私の容態について、


 「それほどでもないでしょ?」


 と言ったのは、何かに気がついてほしかったから。今十分に楽しくやれているということが、先生には分かっていたのかもしれない。とはいえとても一般的に混乱するような状況でないところで混乱しているのは確かだ。

『邪悪(モンスター)』の存在に囚われているのも、一時影を潜めているようでもあるし、これは、一般的にみて「楽しかった」状態なのだと思う。「自分は楽しめていない」と錯覚していたり「出来ることをしていないからダメだ」と自分を責めて逃げているから、充実感があっても、何かに渇望しているのだと思う。


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by ren_with_parfait | 2016-11-21 03:18 | 振り返り | Comments(0)

wDiaryを振り返って思うこと 2016/11/20


201511月(2015/10/30~)のこと



 精神科医になりたい、という気持ちが最初から劣等感でボコボコになる(一人でなってる)ことから始まっている。色々と考えているようだけれど、先生には「釣り合わない目標を持つことで満足感を得ている?」「自分は特別なことをしてるっていう、ナルシズムですか?」ときかれているようだ。

 多分そのへんはゴチャゴチャでスッキリしないんだろう。つまり何の悩みだろう……と思うと、人生相談を診察でしていいかどうかの悩み(?)。カウンセリングでも「記念受験」という言葉が出ているのだから、記念に受験をするかしないかの悩み(?)なのか。2日間昏睡、 三日空けて、2日間昏睡。二日空けて、2日間昏睡。泊まりに来る友達と会う、次の日、遊戯王関係の友達と合流。あっという間にその日終了、次の日終了。


 ここだ。1114日、ここからおかしくなった。この曲を聴いてから、なんでだろう。


 Sの『遊雪』を聴いて。TwitterFacebookblogでの活動も活発になっているらしいし、買い物のリストアップをはじめている(その前にも買い物している)ようだ。北原白秋について母が触れたのもこの時。私はこの曲をずっと聴いていたら、若い時に戻ってすべてやりなおせるような気持ちになってた。『遊雪』が初恋の人と関係があるのかは分からない、たぶんぜんぜんない。私はその頃「過去のとある女性が今の私に狙いを定めて、その曲をある時期が来たら私が聴くように狙いを定めて送ってきたものを受け取った」と思っていた。どこの暗号だ(笑)

 先生にも聴かせたぐらい大きなショックを受けて、その後に影響したと思う。私は一曲にハマってループ再生する方だが、これはインパクトが大きすぎた。24歳の頃のTHE BACK HORN現象の次にヘンだ。


 その後の3日間はカードに夢中になっているようだが、躁状態だったらしい。ある古い友達から連絡があり学歴のことをいじられ「キレて」いるし、20日の日に先生にそう言われ、SSRIを抜いて、リスパダールで対処するように言われているが活動レベルが高いし、自分の中の『邪悪(モンスター)』を意識せずにはいられなくなっている。『遊雪』=裏切った昔の女性を連想する曲、が自分の中のモンスターを引きずりだした(?)、私はそう話していたと思う。しかしBattlesLiveに行く段取りは進んでいた。次の一緒にライヴに参戦する友達と会ったが、その日パフェは体調が悪かったのに、今日に至るまで一回も獣医に連れていけていない。


 3日間空けて、BattlesLive参戦している。1125日。楽しかった。今までいったライヴの中で最高によかった、泣いた。感動した。しかし返ってきた次の日、「怒りがおさまらない」と書いてある。「ぐいぐい意見を言う、無理やり相手をねじ伏せる、これが本来の私なのだろうか……」と。次の日もイライラしやすくなっている、と言いながら、映画の前売り券を買っている。放送大学のレポートが迫っているが、無理やり『女詩会』への参加を決めたのもこのとき。すっかり収集がつかなくなっている。



んじゃーΣ(ω・ノ)ノ!まとめっ



 たぶん、11月で一番大事になるのは『邪悪(モンスター)』のことだと思う。

 この言葉を使うようになったのは


「モンスター ベイリーズで酔っぱらって死んじゃえばいいのに」

  

 という言葉からだ。これはある人の詩で、この意味が理解できないために、モンスターについて『内なる邪悪なもの』と、考えられずにいられないことがこの6年間ずっとあった。モンスターというエナジードリンクが発売された時はおったまげた、自分と関係づけにはいられなかった。

 

 時に怪物的な友達を『邪悪(モンスター)』に定義づけようとしたこともあった。しかしこれでは、ベイリーズで酔っぱらって死んじゃえばいいいのに、という言葉は都合よく嫉妬してもらってるようなことになってしまう。だから、あの時あの人が読んだモンスターという言葉を、内なる邪悪と考えていたかった。そして「初恋の人を思い出す」=「邪悪」とピーンと来た、のだろう。BattlesLiveに行ったのも、その人が聴いていた音楽だからだ。


→問題の記事


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by ren_with_parfait | 2016-11-21 01:22 | 振り返り | Comments(0)