まじない

「命を支払う覚悟あり、されど無駄死にだけは遠慮する」
とか言ってほしい
「彼ら人が為死んだ人達に見習う気持ちあるけれど、尊くない命ではない」
と他人につけられた値札を剥がしてよ

まじないをしますね

ないままにしたらないし
無くならせたらなくなるのだから
必要なものはどんなに無様と言われようと持っていて下さい
つまりは 尊さに囚われる必要もないし
愚かでいいし 醜くてもいいけれど
無駄な罪を重ねて 窮屈しても仕方がなく
罪を自覚するがあまり 罰を欲しても仕方がなく
芸がため痛み苦しみを追いかける必要もなく
納得される必要も 納得を裏付けるものがなくとも
価値は気づかないところにあり それは隣り合わせで
必ずあるということで あまり考えすぎてはいけないということです
考えることが好きなのはよくても 考えるところが違うと自分を苦しめます
生きながらえて 答えを探そうとする人は私は大好きですよ
ですから 値踏みは誰にも行わせないことなんです
自分自身の値踏みがあまりに低いなら 疑ってかかってみてもよくて
何を疑うのかは それが存在に対する値踏みであったり
存在の決まりごとに対する値踏みごとだったり
言いたいことは 己の結論が明らかになりつつあることは 必ず幸せなことだということです
苦しんでないなんてこと そんな経験ないなんてことないんですから
あなた自身への値踏みが どんな大切な他者への値踏みより高いとして それを責めるなんてバカでしょう?

あなたが大切な人は
大切な何かは あなたがいるから大切なんです
あなたにとって大切なのに その大切に思っているあなたを責めてどうするんですか
あなたが全てを憎んだとして それもいいじゃないですか
それを良しとしてないんですから忍耐力たるやおぞましき というほど おそるるはその倫理観です
少なくとも私は私に対してワガママを遠慮しません
前進というのは生真面目だけで形作られていないんです
自殺を決意した数くらい人の幸せになって死にたくないですか?

私はそういう生き方大好きですよ
贖いたければ贖って何が悪いんです?
そんな人が居なければ世は成り立たないじゃないですか
人が人のため多大な痛み苦しみを溜め込み倒れていく世ですよ
偉大な人達と自分が違うというならその証拠はないじゃないですか
自然に笑えて笑顔に包まれる慎ましさを一代で築いたら天才だと思います

結局 寂しいですけど
己の価値観は己にしかわからないんです
そのわかってくれる自分と敵対して
それで何になります?
墓場まで価値観貫いてほしいんです
その連続性はどこから産まれたんですか?
無からはじまる言葉から産まれたはずないじゃないですか
どこで無にたどり着くかもわからないですよね
無駄 無理 無謀 無意味 無価値
そんなコトバは
不利 不条理 不信 そして不思議です

どうか、生きて下さい
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by ren_with_parfait | 2014-12-12 20:12 | ぶつくさ | Comments(0)