ぶつくさ412_2

一体どこでふり切れたのか。
何をどう無理していたのか。
ひとまず、躁うつ病(双極性障害)については、自分が疑われたことがまず無かったから、考えてこなかったけど、よく考えると、テンションのブレやすい、ブレにくい人って居るなぁ、と思う。
テンションのブレやすい、ブレにくい、というレベルを飛び越えて、「あ、この人躁うつなんだな」とすぐに感づいてしまう人にも会ったことがある。

何だかよくわからない持論があって、精神病(この言葉も気をつけて使わなきゃなのだけど……)の患者さんの中で、1番辛いのは、躁うつの人なんじゃないか、と長いこと考えていたし、そう思っていた。
一番よくわからない病気だったし、自分がそう診断されたことがなかったから、って安易な理由で、躁うつ病が一番辛いと考えてたけど、どの病気が一番辛いとか、どの病気が治りにくいとか、よく聞く話しだけど、そう考えること自体、なんかスッキリしない気がしている。

統合失調症がなんで、精神分裂病から名前が改まったのか、その理由、あと、統合が失調しているという言葉の意味、診断名の意味も、未だによくわかっていない。
とりあえず、統合失調症の人しか、ほとんど周りに居ないと言っていいくらい、統合失調症の知り合いの方が多いけど、妄想がある、幻覚がある、発生原因とか、こういう人がかかりやすい、統合失調症の人にはこういう人が多い、とか、エラく狭い世界で妙にこの病気をわかったような気になってたけど、結局説明出来るようなものは何も持ってない。

鬱、とか、パニック障害、とか、強迫性障害、だとか、パーソナリティ障害、だとか、何か、自分にそういう病的さが強いかなぁ、みたいなのは、お医者さんの相槌や、昔だったら、ひたすらに親にあらゆる病理を説明して、互いの病気に対する認識に合点がいくかで、今はこう、これはこう、とか勝手に考えてきたけど、それもエラく狭い世界で、ものすごく偏った病気の覚え方なんだろうなぁ。と、思う。

なんか、いつかの日記で、医療と、法律と、ITを組み合わせて何かをしたいとか、やっぱ精神科医になりたい、というようなことを言ったけど、それで、何がしたいの? と聞かれたら、完成に「いや、勘です」としか答えられないよねー、とか、やっぱり思う。

今の私、これまでの私が無駄とかじゃなくて、年齢のリミッターを解除しながら、変に妄執的に、この歳からは忙しくなるぞ、とか、この歳には死ぬとか、言語と数字の海を泳いで、変な奇跡に巡りあったりしてなんとなく納得しちゃってたのとか、それ全部ふり払って、必要なカンは残しながら理性的に優先順位つけて続けられますか、大丈夫ですか、と言われるとけっこう厳しいなぁ……とか。

小学生、いや、20代の前半くらいまで、若いからなんとかなるっしょ、と本気で思ってて、若さが通じなくなったあたりから、本格的に統合失調症の症状に振り回されて、今年で29歳になるわけで、まとも、っていうんでしょうか、当たり前に29歳としての立ち振る舞いが、どんな時にでもこなせる人間、というのを目指すのはとても難しいことだと考えることが多くなりました。

偏りながらも、生き方としてここは譲らない、というのは必要で、多分大体のことは、過去に何回も答えが出たことを、今急展開してやれますか、ということなんだろうと思う。
簡単に全てを投げ出したり、賭け事に走ったらいけなくて、例えば自分のストーカー的な気質が気持ち悪いのは、人に嫌な気持ちを与えないように、よく気をつける必要があるけど、ストーカー的って言葉に敏感になりすぎて、憶うことを完全に捨てさって、それで保てますかってものでもある。
あと、今までやってきたことを、全て捨ててでも何かをやるっていうのも、あんまり簡単に口にしていいものじゃないですよね。
全てを捨てるといったそばから、その一つに対して後ろめたいことをしているようでは、意味がないし、特に、全てを捨てて、昔付き合ってた女性のために頑張るっていうのも、何を今更って感じじゃないかと思う。
俺が逆の立場だったら、すんごい怖いし、そんなこと知ったら、自由がないというか、知っただけでなんか嫌になると思う、終わったことを大事にするのはいいけど、カッコ悪い想い方をしてると、どっかで色々狂うもんだと。

金持ちになりたい、とか、自分で言ったことに責任を持つ、とか、やると決めたことは最後までやる、とか、こういう、私には珍しい信念みたいなものは捨てさるべきじゃないけど、それだけで何もかも出来ますか? という、と甘い。違くて、信念は貫いていく中で強くなるけど、折れるような場面は多々あるんじゃないか、そこで信念を捨てるか、捨てないか、折れ曲がってないか、って改めて考えていかないといけない。

なんというか、整理整頓。
作業所と放送大学の安定が基本なんだけど、そこに詰め込めるものはなんですか、思いつきに流されて、大事なピン留めすら忘れてやいませんか、っていうのは、自分を見てて凄く感じるなぁ。
ほんとにくだらないボヤキなんだけども、昔っからあった悪いところを本気で取り除いていく時に、切除しちゃいけないところまで切除しそうで恐いんだと思う、私が、これが私らしさです!新しい私です!と決意を提示したところまでは、人に認められるし、認められることで、少し変われたのかな、と思うけど、それが勢いだけで続かないのなら、やっぱり変われていないよね。

ひとまず、想いは胸に秘めて、もう、あまり表向きに喋ったりするのはやめにして、自分自身はこう生きます、こうさせて頂きます、というのを、人に依存しすぎない形で、スッと通していくべきなんだろうなぁ。

共依存のテーマは大きい。
読書分野は、統合失調症、薬物中毒、共依存についてを中心にするべきかな? そもそも読書は通学中にしようと思っていたわけだから、大学に行かないという前提では、色んなことが進まないんだよなぁ。

5月末まで、人と出来るだけ会わずに、自分のリズムを作っていきたいな。重要なことは、出来もしないことをやろうとするから、他が潰れるということ。あれ、これが一番大事なんじゃなかったっけ? というものを見失うこと。
やめると決めたことはやめて、やると決めたことはやる、よく分からないことは掘り下げて考える、両立したいことが出来ないなら、効率を考えるか妥協点を探すか、片方に絞るか、よく明確に続けられる状態を堅持する。

なんだか、すんごい昔の私っぽい考え方で落ち着いているんだけど、これでいいのか自信がないな。

今は折り合いがつかないけど、ここ(ブログ)に吐き出したり日記をつけるのはわりとタメになることだから、思いついたら書いていくと思う。

まず放送大学な。
思考に逃げていると、全て見失うよ。
それっぽいこと言っているだけだもん。

まぐまぐ。
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by ren_with_parfait | 2015-05-12 18:54 | ぶつくさ | Comments(0)