統合と非統合な私

近頃記憶が危うい。
近頃に限定された話ではないけど、気がつくととても重たい症状に振り回されていることがある。

勢いに任せて、頑張ったつもりでいたけど、また違ってきてしまったか。

昨日、えらーさんが帰宅した、ひとりきりになり、カウンセリングに歩く途中、久しぶりに、幻聴の言うがままに街を歩いて、幻覚体験を経験した。

「誰もいなくなった街の美しさを、僕は知っている。それはどこまでも青い」
というものだ。
近頃、やっとのことで勉強をはじめたが、そこまで情報をガッツリ詰め込んでいるわけでもないのに影響が強い。
あらゆることを解き明かそうと、少し学んだ段階ではじめてしまう。

違う、学問は学問として、それそのものを学び、たくさん本を読み、意見交換したりして、そこに生き方を見出して粘り強くやった人が、はじめてそれを活かした仕事ができるんだ。

カウンセリングのテーマの主題はなんだったろう。
Yes,No=こうしろ、こうするな
の幻聴が、なぜ私の自意識より感覚的に優れ、私に理解出来ない命令を下すのか、だったり、弱い植物のように在るがままを受け入れ、足ることを知る私と、とても傲慢でエゴイスト、人を踏み潰してでも自分の意のままにしたい私と、どちらも私である、というような話しをしたら、カウンセラーさんが
「その人たちの他に、自分はいないんですか?」
という話しになったから、自意識としての私が「本名」と「恋」で少し違っているという話しになった。
無理やりにでも「恋」の名を捨てれば、理性的には少し違ってくるけと、感覚的幻聴や、そうした症状に振り回されることを捨てるのが、そもそも正しいかわからないという話しをした。

先生は

「昔あえて、幻覚を思い出して試そうとしたことと、今の感覚は違いますか?」

「なにもかもいなくなった街の美しさについては、昔よく話していましたが、その感覚から、元の状態に戻ることは出来ますか?」

「統合失調症が統合に向かうべきだと、思いますか?」

といった質問をしてきた、それぞれはぐらかしたかのように思える。
心理の場面にしても診察の場面にしても、メモをとって考えをまとめるのはいいが、それを読み上げたら、カウンセリングも診察も成り立たなくなる。

この日記のように、よく思い返して記録をとり、記録を週に1度は読み返す習慣をつけ、より普段の記録をあとで読み返して価値のあるものにするという試みはしていきたい。

ひどく調子が悪いことの引き金は、なんであるかハッキリ特定は出来ない、寝不足や心理学への傾倒のしすぎ、何かよかれとしたことを思い出せなくなること、つまり、

自分で制御・コントロールして生活を過ごそうという試み、それを第一に危機的状況で置く、それが安定を産むし、様々なことがバランスよく展開して、また振り返り明日からどうするかを気がつくのによいはずだが、

それを壊そうとするかのように、対人関係や、理性的には必要ないと思っていることに傾いて、それをしっかり活かしきるところまで自分を維持しないで、時間も意志も無駄にする。

ということが、一番改めないといけないことだと思う。

自分が特別であるとか、何かに対して特別な意味があるとか、今ここで幻聴体験をしなければならないとか、そういった、「自分への特別意識」から来る考えや行動は悪魔みたいなもので、快楽を与えるが自分を不幸にして周りに迷惑をかけ、成し遂げるための時間を失い、大切なことも遠ざける。

「自分を特別な存在だと思いたい」という意識は本当に悪魔のようなものだ。それが慎ましさやひたむきさを殺して、より波乱に満ちた、秩序のない人生にするのだから。

波乱や秩序のなさを選んで望んだならいい、私自身意識がどこにあるか、そもそも、意識外のところから、意識の中に命令が落ちるような状況で波乱や秩序のなさに放りこまれていくのは、普段これでよいとしている自意識にとって、それを壊すものでしかない。

それが私の芸術的な感覚につながるのはいいのかもしれないが、実質芸術的に私は生きていない。せいぜい詩を書く程度のことだ、それも、つまらない詩だ。

今もそうだが、何か掴んでも、掴むものはすぐに消え、感覚は違ってくる、そうすると、ズレてズレて元々の目的を見失いどをどん投げやりで自暴自棄、意味をとれない行動思考で生きることになる。

記録をつけるからには、未来の私にとって、戻ってこれるような価値がほしい、けど、感覚、感情が違えてくると、数分前の感覚に戻ることも出来ず、こんどは戻れないことに執着して更に更にズレる。

記録としての価値に私自身の価値を付与し、自分自身の横暴さに、満足を与えるには創作がいちばんだし、大人しい私には平和を与えてあげることが一番だ。

それを統合して、扱うのが私という存在なんだ。
遊戯王で言うチューナーのようなものだし、寄生獣でいう統率者みたいなものだ。
そんな私が、それぞれ、統合されてない私に対して満足を与え、それぞれに対して気がつき理解することも、大事なような気がする。
それぞれが、様々な時期において、何か満たされなかった私が、統合を失って、順番に表出するかのようなものなのだから。

まぐまぐ。
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by ren_with_parfait | 2015-05-28 13:10 | 日記 | Comments(0)