2018年 03月 19日
善悪人ならは
良かれとすれば
嬉しくて
人ならば
愛した人を
抱きしめる
人ならば
我が子のことを
大事にし
人ならば
罪を犯せば
懺悔する
また人ならば
神知らずとも祈りをし
友が死ならば涙する
人の視線を
気にしては
好かれるように
努力する
進んで悪にはなりはせず
道踏み外せば
悔いて泣く
ごめんなさいと
自分を責める
あふれるがまま
だけれどこれって誰のため?
性善説は誰のため?
痛みが身体を巡るとき
心に暗闇出来るとき
人は自分の悪を知る
それは結局誰のため?
「性悪説」
人ならば
好かれとするは
実はエゴ
人ならば
愛することは
欲しいから
人ならば
我が子のために
尽くせども
人ならば
罰に耐えれず
恋を往く
また人ならば
神を知れども祈るのは
他人のためと敵のため
人の視線を気にせずに
我の正義を貫いて
悲しまぬよう
慈しむ
進んで行う善ならば
弱さ悪さの裏返し
偽善とは
心で泣いたを指しており
己の咎を
知ることぞ
だけどこれって我のため?
性悪説は悪の道?
己可愛がる心失くして
どうして他人を愛せよう
性悪説にも幸はある
悪こそ即ち道しるべ
by ren_with_parfait
| 2018-03-19 21:44
| 二部構成の詩
|
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