2014年 10月 30日 ( 2 )

気を確かに持って。

病魔と闘かうということは、病魔の存在を認めることに他ならない。

統合失調症であることは、よもや拭いようのない事実で、私自身がそれに勝ったか勝たないかの決着は、簡単につきそうもない。

妄想という危うい思考を、やはりどこか拠り所としているし、妄想をみて見ぬフリをしていても、ふとそれは襲ってくる。

自分の症状に対して理論武装して、ただお医者と共通の見識を病気に対して見出そうとしても、それだけで解決はしない。
結局、自分自身のことなのに、お医者さんほどの辛抱強い姿勢でいられない。

気がつくとまた、負けてしまう。
心が辛くなりすぎる前に、手を打たない。
見えたはずの生活の糸口から、好循環を定着させるよりも、生活を崩す悪いパターンに入っていく方がはやい。

妄想を拠り所としたり、幻聴への対処が済んでいなかったりで、症状に振り回されているのもある。

けど、それ以上に、気がしっかりしていないことによる失敗が最近の私には目立つ。
気が、病を良くするため、良くするため、という方向に、本当に向いているのか、ということだ。

捉えどころのないこの病は、気を引き締めて、真摯に向き合わないと、綱引きに負けるかのように一気に死の誘惑まで引きずりこまれるところがある。

一生の病なのだろうな、ということは薄々気がついてはいたけれど、本当にそうとでも思わないと説明がつかないほど、この病気はしつこい。

しかし、そんなことを感じさせず、自分を律し辛抱強く世の中と向き合い、渡っていく人もいる。

自分の生き方を、生活を、病魔と闘いながらも、変に苦しいものにしないことが、大事なのだと思う。

安定して就労することが、何より私の目標としてある。

アレコレと、自分だけの世界と不安定な対人関係だけで生活していると、どうも展望が狭そうだ。

これまで両親や周りの人に迷惑をかけたり、助けてもらってきた。

ここ10年、決定的に欠けてるのが、社会との繋がりなんだろうと思う。
手遅れ、なんてことは、私じゃなくても誰にもないと思う。
それは他人が勝手に手遅れだと言ったり、その言葉、惨めさに囚われるだけ。

8年前、私は「人生が終わった」と嘆いて苦しんでいたけれど、今の私なら、その頃の私に多少は声をかけてあげられると思う。

私は病気になったこと、苦しかったことは無駄ではないと感じることがけっこうある。

けど、気を確かにもたないと、それすらフイにしてしまう生き方をしてしまいそうだ。

精神に病があるから皆優しいというわけでもなく、精神に病があって、はじめて人生が成り立つわけでもない。

たまたま、理解し合えてしまうけど、その人間関係も不安定な事が多い。

病気だけでその人の生活の全てが出来上がっているわけでもない。
病を口にせず、人並み、または人並み以上の努力を、誰もが経験する問いのようなものに、向けていて、初めて良くなることだと振り返る。

私は頑張ります。皆さんも。
それでは
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by ren_with_parfait | 2014-10-30 22:37 | 日記 | Comments(0)

寝ているときに見る夢

 私はよく夢を見る。
 多重夢というのもたまに見るし、金縛りもよくあることだった。

 夢が重たいと、なかなか目が覚めない。

 夢の世界は時間という感覚があいまいであることが多い。
 沢山の時間を夢の世界で過ごして、どちらが現実がわからなくなることもある。
 幸せな夢を見ることは少ないが、近頃は最悪の悪夢もあまり見ない。

 頭がボーッとしながら、こんな文章を書いていると、浅い眠りの時にみた夢を色々と思い出す。
 やはり、どれもいい夢でも悪い夢でもない。

 殺し屋に追いかけ回されて、最終的に自分が殺し屋になる夢。(地理や移動空間のイメージがとにかくおかしい、場面の切り替わり方が現実とあまりに違いすぎる)

 ピンクと青と黄色だけで、個性を練り上げる夢。(最終的に登場人物がみなどろどろの液体になり、狂ったような会話をしている)

 愛犬のパフェと同じ犬種の犬が沢山出てきて、本物を当てるまで起きられない夢。(この夢は頻繁に観る、わりと悪夢)

 家が火事になって、子供などいないのに、子供を連れて逃げようとする夢。(子供はもう死んでいて、幼い頃の自分の顔をしている)

 聞いたことがない歌が爆音でながれる夢。(三途の川のようであったり、あまりに色彩が鮮やか過ぎて、起きた時、自分が生きているかどうかしばらくの間わからない)

 昔みていた夢に比べるなら、どれも悪夢には遠い。
 今も悪夢はみる、だけど、どちらかというと悪夢だとは思うのだけれど、鋭い恐怖の中でずっと夢が続き、起きた時に「二度と寝たくない」となるような夢は減ったように思う。
 金縛りにあって、起きようとしてもまた夢に引きずりこまれて、目を覚ます事が出来ない、とか、本当にひどい閉鎖的空間の中で、病気を抱えた患者さんがひしめき合って読解不能なことを喋っていたりする夢は、あまりみなくなった。

 起きている時にみる夢。
 それもだんだんわからない、曖昧になってきた。
 一時期は、衰弱して死んでいくことが望みにとってかわり、何ひとつやる気が起きなくなったこともあった。
 その体験から、いい意味の妥協や、悪い意味の諦めが、起こるようになってきた。
 多分、私が今生きている現実も、いい、楽しいと、悪い、苦しいが、ハッキリしないバランスで混ざっているのだと考える。

 寝ている時に現実に鈍感になり、起きている時に夢に鈍感になる。

 ではまた

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by ren_with_parfait | 2014-10-30 19:18 | 日記 | Comments(0)